(今日はノートレ日)
【今日のノート:グレアムの考えた投資と投機のちがい】
ボクはデイトレを始めるまで投資にほとんど関心を持っていなかったから,バフェットやソロスの名前は知っていても,漠然と「投資家・資産家」といったイメージしか持っていませんでした。
そのバフェットに,師と仰ぐ人がいるなんて知りませんでした。
それが今日紹介するベンジャミン・グレアムです。
そういえば『賢明なる投資家』という本は書店で見かけたことがあったなーという程度にしかボクはグレアムのことを知りません。
バフェットが「まるで神を見つけたみたいだった」というほど衝撃の名著のようですが,残念ながらボクは読んだことがありません(いったい何が書いてあったら,「神を見つけたみたい」なんて思うんだろうと,興味はあります)。
バフェットがグレアムの3つの教えとして大切にしているのは,次の3点です。
- 株式は単なる紙切れではなく,その企業の一部である。
- 市場の変動を敵視せず,親しく付き合う。うねりに乗るのではなく,当初の方針を愚直に貫く。
- 安全域を考慮する。
グレアムが生まれたのは1894年で,1歳の時に両親とイギリスからニューヨークへ移動しています。17歳でコロンビア大学に入学し,20歳より前に大学を2番で卒業というから,ずば抜けた知能の持ち主だったのでしょう。
大学院に進むよう推されましたがウォール街で働くことを選んでいます。
これが1914年のことなので,第一次世界大戦が起きた年ですね。
グレアムはここで証券分析(今でいう証券アナリストみたいな仕事だったらしい)の業務に携わり,頭角を現していきます。
先の名著『賢明なる投資家』が刊行されたのは,グレアムが株式の世界に入って,世界大戦と大恐慌を経験した後なのですね。
しかしちょっとボクにはグレアムの経験と主張が一致していないように感じられて,おもしろいなと思いました。
バリュー株投資の父と呼ばれ,緻密な証券の分析と安全域の考慮という,かなりディフェンシブな投資を行っているグレアムが,1929年の大恐慌を予測していなかったのかと問われて,「私が知っていたことは価格水準が高すぎたということだけで,投機的な人気銘柄を避けて良い投資をしているつもりでした」と答えているにもかかわらず,その経験の後にも「安全域」という概念を持ち続けたことです。
安全域とは,元本を保全して適切な利益を上げられるような経営状態をを指すようですが,「数字や筋道のたった論証,また実際の経験に照らして証明可能なものでなくてはならない」と言います。
大恐慌を経験した人が,そんな安全域を想定できたというのがボクには不思議です。
ボクがタレブの影響を受けているからかもしれませんが,大戦争と恐慌を経験したら,株式の世界に安全な場所などないと思いそうなんだけどなと思ったんです。
しかしグレアムの投資法をさらに徹底させたバフェットが,世界一の資産家の一人になったのですから,安全域の概念にはやはり有効性があるのでしょう。
(単なるリスクの概念との違いがいまいちわからないけど)
若きバフェットに,お金がそんなにあっても大して面白くないよと教えたグレアムは,62歳で引退します。
いまならちょっとだけアーリーリタイアですね(当時は知らないけど)。
引退した理由の一つは「飽きた」からだったと言います。
1950年代以降のアメリカは,株価が驚異的な上昇を続けた時代らしいのですが,その前の暗く低迷した時代に疲れてしまったのかもしれません。1976年に82歳で生涯を終えます。
そこへ行くとバフェットは怪物的ですね。
バリュー株ファンドの投資家がグレアムとバフェットについて面白い表現をしていたので,これで締めくくります。
わたしたちにとって,グレアムの著書はバイブルである。そしてウォーレン(バフェット)は,自身の資産運用を通じてこれを改訂した。言うなれば,新約聖書を書いたようなものだ。
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